長谷観音のご紹介
仏の教えによりますと「仏とは慈悲心なり」と申します。宇宙の大生命私達衆生の間に身を下して救いの手をさしのべ給う人格的表現が観世音菩薩であります。
私達が一心に観世音菩薩を祈念致す時、その処に刹としてあらわれて救い給うのであります。
従って私達が一心に観世音菩薩を祈念致せば、観世音菩薩はそっくり私達の心の中に入り給い、 私達はそっくりそのまま観世音菩薩の手の中に救い取られ、自分の心の中の観世音菩薩は一切遍満する観世音菩薩と一体となり、そして広大無辺の「彼の観音の力を念ずる」ところに真の信仰の光を見出すことができ、世の中の一隅をひそかなる善意をもって明るく照らす事ができるのであります。
長谷観音の歴史
日本三大観音の一つである古河長谷観音は今を去る事五百余年前室町幕府を開いた足利尊氏公の血脉をひく足利成氏公により建立された。
足利成氏公は宝徳元年(一四四九)に室町幕府の命を受け京より関東管領として鎌倉に派遣され鎌倉公方と称されたが、関東豪族上杉氏と敵対したため幕府と対立し康正元年(一四五五)下総国古河に移り古河公方と称し関東に足利成氏有りとの威厳を誇った。
明応二年(一四九三)足利成氏公六十才のとき、青春時代を過した鎌倉への望郷の念により、又長谷観音信仰によって、古河城の鬼門の地に鬼門除けとして明観山長谷寺を建立し、鎌倉長谷寺より御丈六尺八寸一分の木造長谷観世音菩薩様を勧請し御安置なされて以来、政氏公=高基公=晴氏公=義氏公と崇敬され、特に義氏公の女氏姫様長谷観世音菩薩を一心に信仰され、その霊験あらたかな御利益により義親様を御誕生され、まさに観音経の子宝の文に「若し女人ありてたとえ男子を求めんと欲して観世音菩薩を礼拝供養せばすなわち福徳智恵の男子を生まん、たとえ女子を求めんと欲せば便ち端正有相の女子を生まん」のごとくでありました。
その後、土井家、堀田家等々古河城城主代々の御祈願になり崇敬されました。
長谷観音様は、古くより安産、子育虫封じ、開運厄除、出世観音様と言われ、霊験あらたかなることは広く世に知られ「日本三大長谷観音様」としてしたしまれております。
日本三大長谷観音様のゆわれは、大和、鎌倉、古河の長谷観世音菩薩は一本の楠によって彫れ、大和の長谷観音様は楠の元木、鎌倉の長谷観音様は中木、古河の長谷観音様は楠の末木によって彫れたと口伝されております。
日本三大長谷観音様の所在は次の通りです。
- 大和国(現在の奈良県)初瀬長谷観音様(楠の元木)
- 相模国(現在の神奈川県)鎌倉長谷観音様(楠の中木)
- 下総国(現在の茨城県)古河長谷観音様(楠の末木)